夕餉も一段落した頃、喜助は晋助の方に向き直り「晋助様、私も落ち着きましたので、改めて話を聞いて頂けますか。」と問うた。 「うむ、父上からも話を賜ってきたのだろうし、あの後どうなったのかも聞かねばならんな」「はい、では早速。結果から申し上げますが、晋助様に非は無く、お咎めはありません。」驚愕した。わしに罪は無いと、御上の沙汰が正式に下ったという事か。晋助は茶を一口啜った。「ここからは晋助様と別れてからの一連の動きをそのままに話します。」喜助の話は、「あの後、御店に戻って暮れ六つを待ちました。当たり前ですが、晋助様は戻りません。私は震えていましたが、それを旦那様が見つけて、ことの顛末を全て話しました。他の奉公人を番屋にやって、御店にお役人をお呼びしました。あれこれと聞かれ、私は泣きながら、その男が刃物を持って、晋助様に襲い掛かったと話しました。私が悪いのです、私の足が男のすねに当たり、怒った男が刃物を振り回し、その男を晋助様が体術で交わされたと話しました。だが運悪く刃物が男の脇腹に刺さり、私たちは逃げたと話しました。私はお役人に懇願しました、私を助けた晋助様は悪くないと。お役人は人をやって、茶店の主人や近隣の出展者から話を聞いて、刃物を振りかざした男を探し出しました。幸い男のけがは急所を外れていて、傷口を縫い合わせるだけで済んだそうです。近くの診療所に運び込まれておりましたところを、お役人に捕縛されたそうです。男の名は益蔵、近所の賭博に出入りするごろつきだそうです。私はその後もお役人に何度か取り調べを受けましたが、ある日、益蔵がお白州で裁きを受け、処払いとなったそうです。その後しばらくなにも御座いませんでしたが、旦那様が奉行所に通われて、晋助様の罪がどうなるのかをお聞きしていたそうです。半年ほどしたある日、旦那様に呼ばれて、「晋助はお咎め無し」と正式に通達があったとお話しくださいました。それから旦那様は人を雇って密かに晋助様をお探ししていたのだと思います。ときどき知らない方が旦那様をお尋ねになっていましたので、何となくそうではないかと思っておりました。しかし見つからなかったようです。そうして月日が流れ、先日、突然に秀吾様が現れて、今に至ります。「そうか、わしに罪は無かったか、この二年のじりじりとする寂寥感(せきりょうかん)や逼塞(ひっそく)は無駄だったのか。あの日わしに、もう少し泰然自若な心持があればな」 「それはわしも同じだ。だが過ぎ去った日々を後悔しても始まらんだろう。お主だけでは無く、喜助もあの日を一日たりとも忘れたことは無かっただろう。」 「喜助、本当に悪かったな。だが、お前にあてた手紙にも書いたが、わしはあの時の事を何も後悔はしていない。ただ、この二年多くの人に迷惑をかけた。その事に心が痛むだけだ。」 「晋助様は何も悪くありません。私を救ってくれた上に、すべての罪をお1人で背負われ、行ってしまったことをどうすれば良いのか分かりませんでした。ですからただ深く詫びたかったのです。」喜助はまた涙をこぼしていた。晋助も秀吾も喜助の気持ちを思えば、また涙が出た。「喜助、もう十分だ。お前が詫びてくれたことはこの二年の歳月を洗い流してくれた。これでもう貸し借りなしだ。それからお前はわしの朋輩だ、もう晋助様と呼ぶのは辞めよ、これからは晋助さんと呼ぶがいい、秀吾のことも秀吾さんと呼ぶがいい、こいつはわしの朋輩だ、わしが許す。」 「何を勝手なことを申す、それを決めるのはわしだ。お前の許しなどいらぬわ。だが、喜助には世話になった。わしもお前の朋輩だ秀吾さんと呼べ。」 「はい秀吾さん」 「気兼ねが無くていいのう」 「それで父上は何か申したか?」 「晋助さ・・む」 「喜助、さんだ、さん。これは慣れるしか無い。よし、晋助さんと言ってみよ」 「晋助・・さん」 「よし、それでなんと」 「まずは手紙を」喜助は手紙を差し出した。一読した晋助は大きなため息を吐き、「すぐに帰って参れとは、理不尽な。こちらにも都合がある・・」「そうだな晋助、先ずは橘屋の女将と話さねばなるまい、何はともあれ橘屋へ行こう。
居間に通された三人は、先日の旅の無事と借りた金子の礼を述べた。女将も土産の礼を丁寧に返してくれた。「さて、桔梗屋さんのご主人からも厚いお礼の手紙をいただきましたけど、改めてどうしましょう。それは、金子のお支払いは桔梗屋さんからでも構わないんですけど、お二人はどうなんですか。」「女将。それは大変申し訳ないが、わしの分まで出してもらうわけにはいかぬ。女将には申し訳ないが、わしは自分で返していく故、時間はかかるが桔梗屋さんの申し出はお受けすることはできない。」「秀吾、それはわしとて同じ事、子供では無いのだ自分の尻は自分で拭く。」「それでは、返済はお二人でコツコツという事でよろしいんですけど、晋助さんはどうなさるおつもりなんですか。」「うむ、京での出来事はお咎め無しという事で、晴れて無罪という事になったが、ここで過ごした二年の歳月は無しという事にはできぬ。多くは無いがわしらに協力してくれた橘屋さん始め、他の皆さまにも恩返しもできておらん。だから、今しばらくここに留まり、生きていこうと思う。」「秀吾さんもあと二年ほど処払いが残っているんでしょ、それまでにゆっくり返したらよろしいしね。」「しかし晋助、親父殿はどうする、すぐにでも帰って来いと言う勢いだったぞ。」「それだ。とりあえず手紙を書いて、今すぐに戻るわけにはいかんと書いておこう。」「しかし、それで親父殿が納得してくれるわけも無かろう。喜助に手紙を持たせて事情を話させればよかろう。」「いや、喜助は行かせん。手駒を失うようなものだ。」「手紙には、雪が降って薬草が取れなくなれば、一度京へ帰ると記しておく」「ところで晋助さん、もう秀吾さんにあの話はなさったのですか。」秀吾が「女将、あの話とはなんだ」と「・・・いや、秀吾にはまだ切り出せずにおる。」はあ、とため息を吐いて「考えてばかりいても何も変わりはしないでしょ。男やったら当たって砕けろ。話したら案外ええ方に転がるかもしれませんやろ。ほれ」「・・・実はな秀吾、足利へ参った折、小夜殿と心を通わせてしまった。・・友江様の手伝いをしたり、小夜殿の警護を買って出たりして過ごしているうちに、好いてしまった。言い訳をしたいわけではないが、わしもお雪の事もある。態度に出さぬようにしておったが、廣瀬兵部の嫌がらせから小夜殿を助けた。小夜殿に傾く心をどうすれば良いのか分からなかった。わしは全ての事を小夜殿に話した。許嫁のお雪の事も話した。罪人を二年も待ってくれるはずも無いと言ったが、小夜殿はお雪様と同じおなごとして、お雪様の気持ちはそう簡単ではないと。今も晋助様に思いを寄せていらっしゃると言ってくれた。涙が出た。小夜殿は泣きなさいと言ってくれた。泣いて辛かった思いを流しておしまいなさいと・・・だから秀吾、お主からお雪の話を聞いたが素直には喜べなんだ。お雪が嫁いでいくから、わしが小夜殿と、と言うのは後ろめたさしかないのだ。」「難儀な事よのう。だが、二人が心を通わせている事は知っておった。婆婆さまの手紙に二人を信じて許してやれと記してあった。婆婆様がそれで良いと仰るなら、わしがどうこう言うことは無い、それにお前と違ってお雪殿はお前の幸せを願っているとお伝えくださいと、ことずかった。お前もお雪殿の幸せを祈るしか無かろう。」晋助は自分を取り巻く人々のやさしさに溢れる思いがした。私は少しも不幸せでは無かった。取り巻く人々に活かされてきたことに感謝しかなかった。
「さて、喜助、秀吾そろそろおいとましよう。」「晋助さん、今日も泊まっていったらいいじゃない。黒彦は土間で休んだらええし、それにお風呂に入って、明日帰ったらいいでしょ。」「そんな、女将さんにばかり甘えてばっかりでええんですか?」秀吾が「わしは風呂に入りたい」と言い、喜助に「お前も風呂に浸かりたかろう」「私はその様な事が言える立場に御座いません。」「ほな、喜助さん一旦立場は置いといて、本音ではどうですぅ。」「それは、入りたいか、入りたくないのかと言われれば・・・入りたいです。」「はい決まり、お泊りやす」「それにここの布団はふかふかでぐっすり眠れます。私は布団に入れば十を数えるのが難しいくらいです。」「なんだ喜助。わしらの庵に布団があるだけでもましだと思え。」「ほほほっ、喜助さん面白いこと言うわ、十を数えられへんて、普段はどんな硬いお布団なん。」「それはですね・・」晋助は「馬鹿者、そんな説明はせんでもいい。わしらは質素倹約を心掛けねばならぬ、贅沢を憶えよって。」「まあまあ、ええやないの晋助さん。ふかふかのお布団を知ったら、いつかはあんな布団で眠れるようになりたいって努力もするでしょ。広くいろんなことを知るゆう事は将来に繋がることですえ。」「ありがとうございます。喜助、女将さんに感謝するのだぞ。」「はい、女将さん、ありがとうございます。」「あたしより、お布団に感謝してるんと違う。」「はい、おふと・・・いえ、女将さんです」皆が一斉に声を出して笑い出し、喜助は恥ずかしさに俯いた。「さあ、帯を緩めてお風呂が沸くまでゆっくりして待っといて。」
