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元禄 山野流浪紀 その十七 談

  1. 私小説
2026/08/05

身体の半分ほどの行李を喜助は担いでいた。後ろから見ると、まるで行李が歩いているようだ。昨日は旅の準備に追われ、今朝は主人の格之助のみならず、母や兄からも手紙を託された。女将のお清からは「お願いだから晋助に・・お願いだからこれを・・」と次々にお願いされ、兄の宗八郎からは「晋助に何も心配するな・・何かあれば・・何としても・・」など、何、何、何を押し付けられ、主人の格之助には山ほどの言い付けを賜ったようで、旅の前から疲れ果てていた。山科を過ぎて京らしい佇まいから離れると、ようやく元気を取り戻したように、喜助は口数か増えてきた。「秀吾様、今夜はどちらの宿ですか?」 「まぁ、喜助の進み具合によるな、早ければ先の、遅ければ、今夜はここでとなろう。がしかし、急ぐ旅では無い気楽にいこう。お前は荷も多いしな」 「私は大丈夫です。秀吾様の歩みに合わせます。」 「喜助、気持ちは分かるが気負うな、晋助が逃げるわけではない必ず会えるのじゃ。それよりお前、旅は初めてか?」 「はい、初めてでございます。」 「ならば尚更だ。旅を楽しめ、京よりほかを知らんのだろう?色々なものを見て、聞いて、肌で感じることだ。それが見聞を広めるという事だ」 「はい、秀吾様。しかし、あまり楽しんでは旦那様や、女将さん、宗八郎様の言い付けを忘れてしまいそうです。」  「はっはっはっ、それはいい。だがどうせ大した事ではないのだから、細かい事は忘れてしまえ、いずれ顔を合わせれば、その様な事はどうでも良くなる。大事なことは何か、それだけを伝えれば良い」秀吾も行きがけと違って気持ちが軽い。話相手の喜助もいるし、気楽な旅路を楽しむ自分に満足している。今頃、晋助はどうしているだろう。直江の家で、婆婆さま、小夜と過ごし、もう足利を発つ頃であろうか。わしもあれこれと話さなければならないだろうが、その事は喜助に詳しく話してもらえばいい、わしが出来ることは、お雪殿からの文を渡すことくらいだ。横を見ると喜助は街道沿いの出店を珍しそうに眺めて楽しそうだ。お雪のこと以外は晋助にとって良い話しか無い。歩く秀吾の背中の行李がことりとなった。京の土産に橘屋のお詩乃に、本漆で赤字に金の平打ちかんざしと、すぐき、黒七味の他、香の和文具も手に入れた。まあ、お詩乃は京生まれ、喜んでくれるかは分からんが、懐かしんでくれると嬉しい。

喜助はその大きさに圧倒された。秀吾に琵琶湖だと聞いたが、向こうの端は見えなかった。休憩していた水茶屋で、琵琶湖には人を飲み込むほどの大鯰がいると聞いた時には水辺には近づくまいと思ったほどだ。さらに進むと、この辺りには忍者の隠れ里があると聞いて身を固くした。中山道の木曽川を渡る太田の渡しでは急流に肝を冷やし、その向こうの宿場では、鮎や鰻に舌鼓を打った。何もかもが新鮮で知らないことばかりだった。もちろん、京は好きだが、その外側のことを何も知らず、自分が小さな世界を生きた来たことに心がじりじりとする焦りや頭を叩かれたような複雑な気持ちになった。もうすぐ晋助様に会える、会わなければならない、会って何と言えばいいのか。今までもずっと考えてきたことだが、間もなく会えると思うと、考えていたことが薄っぺらい事だとも思える。今一度考えてみるが、何が適切なのか分からない。そんなことに囚われて俯いて歩いていると「喜助」と名を呼ばれ、”はっ”とした。行商の大八車にぶつかりそうになった。秀吾に「何を”ぼうっ”としておる」といわれた。「考え事をしておりました」と言うと「お前も休まらん奴じゃなぁ、さっきまであちこち見まわして笑顔になったり、感心したりしておったかと思えば、今度は考え事か。喜助、なぜ今を生きない。お前はもう済んでしまった事をいつまでも悔やんだり、まだ起きてもおらんことに悩んだりして不安になる、それほど無駄なことは無いぞ。今を生きろ、この瞬間、この無常を大切に生きろ。ただし考えすぎるなよ、ありのままを受け入れて、それを全て楽しめ。まあ、わしも頭では分かっていても考えてしまうがな」 「ありのままを生きるですか・・・」 「また、考えておる。まずは判断はせず、良いも悪いも、好きも嫌いも、自分の考えも、世の中の常識も当てはめないで、ありのままを受けいれてみる事だ」秀吾はもう何も言わなくなった。ただ前を歩いているだけだった。この旅に出て自分の見識の小ささや知らない事のばかりの頭で物事を判断するのは確かに危険な事だった。秀吾の言う通り、まずは気楽にいろんなことを受け入れてみよう、そう悟った。

晋助は下野国から倉賀野宿で中山道に出た、急ぐ旅では無いが気が急いていた。一人になって考えると不安に苛まれた。わしは相変わらず罪人であるし、そうではなくとも、お雪の事はどうすれば良いのか、小夜と心を通わせたが、秀吾になんと話せばいいのか、いくら考えても分からなかった。松本藩領まで五日と踏んでいたが、四日で着いた。その夕方、橘屋の暖簾をくぐった。「沢渡村の晋助です。遅くにすみません。」と声をかけた。番頭の惣吉が「晋助さん今、お帰りですか。女将さんをお呼びしますね」と言って奉公人に「女将さんに沢渡村の晋助さんがお見えだから、居間へお通しするので呼んできておくれ」と言って、惣吉は先に立って晋助を案内した。間も無く女将のお詩乃がやってきて、「まあまあ、長旅お疲れ様でした。足利はいかがでした」 「はい、秀吾に聞いていたより、ずっと良い町でした。御自分御届で荒んでいるかと思いましたが商人はしたたかで、お侍よりよほど元気でした。 「それで秀吾さんの御身内の皆さんは大丈夫だったのですか。」 「はい、着いたときは祖母殿は加減が悪うございましたが、私が持ち込んだ薬が身体に合ったのか、具合が良くなりました。妹君はすこぶる元気でございましてな、秀吾に良い報告が出来ます。・・・それで、今日は女将さんにご相談があります。」 「急に改まって、何でしょう」 「相談の前に私自身の話をすべて聞いて頂かなければなりません。実は・・・」晋助は二年前の刃傷沙汰から、故郷を捨ててここへたどり着いて源蔵に助けられ、自分も秀吾を助けたが、互いに脛に傷持つ者という事で、秀吾本人がいないので何があったかは明かせませんが、今度の旅は互いの家族を見舞う旅だったことまでを話した。その上で「私には許嫁がおりました。しかし、放ったらかされて、待ってくれることなどありますまい、ましてや私は罪人です。しかし、私が相談したいのはその事ではありません。秀吾の妹の小夜殿の事です。・・・あろう事か心を通わせました。そして幸せにしてやりたいとも思っています。兄、秀吾の事もあります、どうか良い知恵をお貸しできればと」お詩乃はどきりとした。初めは酔客との揉め事から、人世につまずきながらも懸命に前を向いて、もがいている晋助の今後の仕事を含めた望みに一助の手助けをと思っていたが、一人の女を幸せにと願っている事に驚きを隠せなかった。未だ自らも罪人であるが、肩身の狭い思いをしながらも自分の事より、なお誰かを幸せにしたいと願う男に胸が震えたが、かたや許嫁の事も曖昧な中で物事を前に進めるには心が咎める。「晋助さん、何か事情がおありやとは思ってましたけど、そうですか。けど焦りは禁物です。まだ秀吾さんも戻っておりません。各々の持ちよったものが出そろったら、それぞれを組み合わせて、一番いい方法を導き出しましょう。」 「すみません女将さん。足利を離れるおり、後ろ髪を引かれる思いに、つい気が急いて、帰るなり橘屋さんに駆け込んだ次第です。面目次第も御座いません。」「それはええけど、許嫁さんがいらっしゃるのに、他のおなごを好きになるのは、同じ女として引っかかりますなぁ。」 「仰る通りです。ですから、女将さんに話した通り、小夜殿にも、今日までの事を全て話したうえで、許嫁のお雪の事も告げました。小夜殿には、おなごの気持ちはそう簡単ではないのです。私が晋助様を諦めきれないように、お雪様も忘れられないと思いますと言われました。」 「まぁ、その様な事を。小夜様もおなごとしての度量が大きい方なんですね。それを聞いてなお、晋助さんに思いを寄せていらしゃるとは・・・」 「女将さん、今日は突然の訪問をお許しください。それから、ありがとうございました。私のこれまでの事を全て話すことと、旅の様々な出来事をお聞き頂き感謝しております。長居を致しましたが、これにて失礼します。」と言ったが、お詩乃は一言、「今夜はお泊りやす」と言って、有無を言わさぬ表情を作った。晋助は何か言おうとしたが、言葉を引っ込めた。「今夜は足利での出来事を全部お話しいただきまっせ」と言って襖をあけ「誰かいるかい、お風呂沸かしといて」と告げた。