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元禄 山野流浪紀 その十五 その前とその後

  1. 春夏秋冬
2026/07/20

喜助に連れられ着いたのは料理屋の離れのような所で、まだ日は高く、風もない穏やかな小春日和の午後だった。喜助が声をかけると、女中に「お二階へどうぞ」と促された。小さな部屋がいくつか並んでいて、少人数の酒席には好都合の部屋だった。その一番奥の部屋の前で喜助は「桔梗屋の喜助でございます、お雪様」と言うと「喜助さん中へどうぞ」と透き通った声がした。襖を開けると黄色地に格子柄の黄八丈の小袖を着た、お雪が微笑んでいた。「わざわざ、お呼び建てしてすみません。どうぞお座りになってください。」秀吾は「お雪殿ですか、昨日もお目にかかりましたが、私は直江秀吾と申します。喜助よりお聞き及びかと思いますが、今は松本藩領で晋助と共に暮らしております。早速ですが、お雪殿、これを」と言って秀吾は懐から手紙を差し出した。喜助の口から「お雪様にも」と声が漏れた。手紙を受け取ったお雪は、秀吾を見つめたが、秀吾がこくりとうなずいたのを見ると手紙を開いた。一読する間も、少しづつ表情が変わり、読み終わる頃には懐紙を取り出して、そっと目尻を拭った。「秀吾様ありがとうございます。晋助様はお元気なのですね。」 「晋助は元気にしています。今は私の国元の足利に行っていますが間もなく今の住まいに戻ってきます。・・・お雪殿、無茶を承知でお伺いしますが、嫁入りされると聞きました、考え直すことはできませんでしょうか。わしが言うのもなんですが、晋助は今もお雪殿の事を思っております。今一度ご検討いただけませんか」 「それは、出来ません。わたくしも晋助様がお戻りになるのをお待ちしておりました。ですが、いつお戻りになるとも知れぬ者を待つには余りに、信頼に値するものが無いと父に諭され決心しました。わたくしにできる事は晋助様の幸せをお祈りいたすことだけです。どうか穂容赦ください」 「お雪殿、ご容赦などとんでもございません。詫びなければならないのは、わしのほうです。晋助の朋輩として一縷の望みをかけてお伺いした次第。どうか忘れてください。」 「いえ、その様な事良いのです。それより晋助様はどんな暮らしをしているのかもう少しお聞かせください。」 「良いのですか、辛くはありませんか」 「もう、夢でよいのです。私の知らない、私の見た事もない景色や生活の中に生きている晋助様を想像してみたいのです」それでは、と言って秀吾は桔梗屋で家族と喜助に語ったように、お雪にも一通りの話をした。「あれで、晋助は料理も上手い。兎汁も、たんぽり鍋も滋味深く、美味しいものを作るのだ。特に晋助は苦みを上手く利用して味に深みを出している。わしには真似できんがな」 「晋助様が料理をなされるのですか。喜助さんは知っていましたか」 「いえ、私も秀吾様にお聞きするまで知りませんでした。もちろんそれまで、お家で台所に立たれたことなど見た事もございません。」 「そうですか、わたくしよりも料理がお上手かもしれませんね」 「なに、彼奴も腹を満たすには、料理もせねばならん。それにどうせ食うなら美味いほうが良いからな」 「それはそうですが、それならば秀吾様も料理をするのですか」 「わしも一応は出来るという程度だ。料理は晋助にはかなわん。それに彼奴は料理に関しては、ちとうるさいのだ。味が濃いだの薄いだの、挙句の果てには歯触りがどうのと小うるさい事を言うのだ」 「秀吾様、先ほど、どうせ食うなら美味い方がいいと、ご自分でおっしゃったでは無いですか」 「なんだ喜助、お前まで口うるさい事を申すのか」 「ですから、それは・・・」。 「まあまあ、お二人とも。それよりも、肉や、魚、野菜などはどうしているのですか」 「野菜は小さな畑を薬草と一緒に作っておるし、冬の前には、その野菜を庵の地下深くに穴を掘ってあってな、そこにスクモと申して、もみ殻が敷き詰めてあるのだが、それに埋めておけば長く保存できる。魚は近くの川に行き、仕掛けを沈めておくと大抵はかかっておる。肉は主に兎を獲る」 「兎はどうやって捕まえるのですか」 「礫だ。石を拾っておいて、兎が現れたら、礫を放って倒す。・・・じゃが、それも晋助の方が上手いのだ。彼奴はなるべく丸い石を、わしは平べったい石を放つ。五回勝負して一度勝てるくらいかな。体術も中々勝てない」 「そうですか。食べることはその様になさっていらっしゃる事は分かりましたが、それでも日々の金銭はどのようになさっているのですか」 「晋助は薬師だ。山へ分け入り、薬草を採取し、薬研を引いて薬を作り、薬種屋に売るのだが、わしもその手伝いをしている。それが仕事だ」 「それをご自分で・・・思った通りに生きていらっしゃるのですね。」 「便利ではないが、不自由ではない。」お雪は、あらかたの生活のあらましを理解したようだ。 「あの秀吾様。この手紙を晋助様に。」 そう言って美しい和紙の手紙を差し出した。「確かにお受け取りいたしました。必ず晋助に渡します。それでは本日はこれにて」そう言って立ち上がった。お雪は「秀吾様、晋助様、お二人のご武運をお祈りいたしております。」と静かにいった。表に出て、お雪に背を向けた。喜助はお雪と二言、三言話していたようだが、すぐに追いついてきた。秀吾は「喜助、色々と世話になったな。明日、京を発つ、何かあれば伝えておくが、どうだ。」 「それは・・・」 「まぁ、明日だ。お前も手紙を書くがいい」二人はぶらぶらと桔梗屋まで帰ってきた。秀吾が部屋で荷をまとめていると、主人の格之助が「秀吾様よろしいですか。」と言ってひざを折った。「明日、出立なさるそうですね。」 「そういつまでも、ここに居るわけにもいくまい。帰って仕事に取り掛からねば、晋助にどやされる。」 「そうですか、それで秀吾様ご相談ですが、沢渡村へお帰りの際、当家の奉公人を一人お連れいただけないでしょうか。勿論、秀吾様に二年前の詳細や、そのお沙汰は無しと説明していただいても良いのですが、今の店の有り様や私の意向など事細かなことが伝わりますように、お願いできませんでしょうか。」 「それは構わぬが誰を連れて行けばよいのだろう」 「それは後程お知らせします」 「承知した。」桔梗屋の家族会議が行われるようだ。

その夕刻、「秀吾様、何度もお手間を取らせます。これは当家の手代の松蔵です。これをお連れいただけますでしょうか」と格之助は言った。その時「旦那様、お待ちください。」と襖の外から声があった。「私です。喜助でございます。旦那様どうかお願いです、私を秀吾様のお供にさせてください。」 「喜助か、入りなさい。・・喜助、何故そんなことを言い出す。長旅になる上に、もしかしたら伝書鳩のように京と沢渡村を行き来せねばならないかもしれないのだぞ。それにお前はまだ子供ではないか、到底無理であろう。」 「もう子供ではありません。私も元服の年になりますので、一人前の男として扱ってください」正面から格之助を見据えた目と唇に頑ななものが浮かんでいる。秀吾は「ご主人、どうしてもという事でなければ、喜助で良いではないか。わしもその方が気を使わなくて済む」 「足手まといになりますまいか」 「柔術の鍛錬も怠ってはおらぬようだし、足の運びは良いと思うがな」 「ご存じでしたか。それでは・・・松蔵、今回は無かったことにしてくれ、喜助をやってみる」と告げた。むしろ松蔵はほっとしているようだった。松蔵が席を外すと格之助は「本当に良かったのですか、秀吾様」 「わしが良いか悪いかではない。喜助と出会い、話を聞き、晋助の手紙を読んでなお、二年前の出来事に心を痛め、晋助に詫びなければと頑なに思っている。そうゆう心持の手助けになればと思うだけだ。会って詫びなければ、いつまでたっても喜助の気持ちは晴れないだろう」 「秀吾様、私からも重ねて御礼申し上げます。晋助の事もそうですが喜助の事、よろしくお願いいたします。」 「礼には及びません」立ち上がった秀吾に喜助は「秀吾様、ありがとうございます。晋助様のみならず、秀吾様にもいつかこのご恩をお返しいたします。」 「喜助何を申しておる、礼など良い、お前もまた晋助と同じように、わしの信頼のおける朋輩じゃ。晋助に会って心の内を整理するといい。明日は早いから、支度をいたして旦那様の言い付けを良く聞いて、心しておけ」喜助は顔を上げ、笑みを浮かべて「はい」と元気な声で答えた。