到着に45分も遅れたが、内蔵助山荘の皆さんは暖かく迎えてくれた。我々は受付を済ませ、今夜の宿の説明を受けてからザックを降ろし、各々コップとおつまみを手に表の庭に集合した。テーブル席は空いていなかったので、マット持参で地べたに座り込み酒盛りになった。あぁだこうだと話に花が咲き、1本¥2000もする、500㎖のビール2本はあっという間に空いてしまった。テーブル席が空いたのでそちらに移動し、なおも酒盛りは続くが、徐々に気温は下がっているようで、友人は上着を羽織って戻ってきた。そろそろ夕食のお時間が近いので部屋に戻ることにする。2段ベッドの上段が今夜の夢見スペースになる。寝床を整えて、夕食の席に向かう。この内蔵助山荘の名物は、なめこ汁!他にも色々と多彩なメニューに舌鼓を打つ。あちこちで外国語も飛び交う、にぎやかな宴だ。

夕食を終え、前庭に出てみると、美しい夕焼けに山肌が彩られている。

風もない薄暮れの丘にひとり身を置いてみる。傾いた西日が山並みを照らし、辺りが暮れなずむ中、ゆっくりと夜のとばりが静かに下りてくる。切ないような、締め付けられるような気持に無情な寂しさを覚える。夕焼けなどいつでも見られるだろうに、ここで見るそれにはひとしおの美しさがある。雲と空の間にはオレンジのビーナスラインの帯が広がり、明日も午前中の天気は確実だろうと確信して、小屋へ戻る。
しばらくワインや焼酎を飲んでいたが眠くなってきた。今朝、自宅を出発したのは2時半だったこともあって、9時前に床に就いたが、今日の山行に浸る間もなく眠りに落ちた。それが何時だったかは分からないが、雨音で目が覚めた。「雨かぁ」と少しがっかりしたが、山小屋の2段ベッドは少し暑く、毛布をわきによけ、再び眠りに落ちた。人声のざわめきに目が覚め、朝を迎える。カーテンの隙間から外を眺めるが、何も見えない。深い霧が覆いつくした窓外は10m先も、ただただ白い世界だけが目に映る。廊下からは、誰かが「すごい風だ」と話しているのが聞こえる。友人と、「今日の別山、北嶺はダメだな」(うん、何も見えんから、下りよう)と話し、身支度を整え、朝食に出かけた。
出発の準備を整え、外に出た。まさに暴風、爆風と呼ぶに相応しい風が吹き荒れている。山荘から、真砂岳の稜線に出ると、本当に身の危険を感じる、台風並みの風が吹きつけてくる。慎重に行こうと示し合わせ、稜線の道を進むが、体からはみ出ている、ザックに風が当たり、左右にあおられる。落ちれば本当に危ない箇所も容赦なく吹き付け、我々をあざ笑うかのように、圧力をかけてくる。
危険個所をクリアし、別山南峰に着いた。口々に「やばかったね!」(いやマジでマジで)「死ぬかと思った」(よかったね)など喜びを分かち合いながら、別山のお社さんに今日の下山の無事をお祈りした。

1時間ほど下って、剣御前小屋に着いた。出発時の気温は10℃、剣御前小屋は13℃。風と霧でびしょぬれになった我々の体は冷え切っていた。「とにかく、ここで暖かいものでも飲もうと言う事になり、扉を開けた。小銭を出すのももどかしいが、僕と家人はココアを頼んだ。濃く、甘いココアが冷えた体に染み渡った。
中腹まで降りてきて、先ほどまでの風が嘘のように収まってきた。雷鳥沢はそよ風で、霧がゆっくりと流れていく。そんな時、低い茂みに雷鳥の親子を見つけた。初めは、親たちが周りを警戒して辺りを見回していたが、危険がないと判断して鳴き声を発すると小さな子供たちがヒョコヒョコと茂みから出てきた。産毛はもう生えてはいないが、体格は親の半分ほどだろうか。

更に雷鳥沢の下降を続けていると、谷の向こうに黒くうごめくものが・・・熊だ!それも、かなり大きい。1m50cmくらいはあろうか。ごそごそと茂みを物色しているようだ。谷の向こうの山の斜面にいるので危険は感じない。「大きいね」、「野生のクマって初めて見た」「真っ黒だな!」などと話していると、下から一人の登山者が登ってきた。互いに「こんにちは」とあいさつを交わし、「あそこに熊がいるんですよ」と声をかけると、その方は「下にもいましたよ」と教えてくれた。我々は「今年は立山界隈もたくさん出没してますね」と言葉を交わしさらに下山していった。
雷鳥沢のキャンプ場が見えてきた。あそこまで行けば、もう険しい登山路はない。風景を眺めながら降りて行くと、???あの人たちは何やってんの。見ると、川向こうのキャンプ場に横一致列になった人たちがスマホを構えてこちらを撮影している。さらに進むと、「えっ、熊だ!」下山路の前にある灌木の茂みの脇に草地がある。そこに、1頭のクマが、大した警戒心も抱かず、のんびりと遊んでいる様子が見える。我々は、「さっきのクマと変わらないくらい大きいね」と話していたその時、何を思ったのか、その熊はこれから我々が通過しなければならない、その灌木の茂みの一本道に飛び込んできた。そうか、あの熊をみんな撮影していたのだろう。だが困った、あのクマに襲われたら、ひとたまりもない。一本道の灌木の茂みの前で我々は立ち尽くした。どうしよう?そうだ、川向こうのスマホ撮影者に〇か✖かを問うてみよう。相変わらずこちらにスマホを向けているキャンパーたちに、私は頭上で〇を作って、飛び跳ねてみた。が何の反応もない。今度は、✖を頭上に掲げてみたが、やはり反応がない。クマの撮影に夢中で、我関せずというようだ。我々のパーティーの前にご夫婦のパーティーがいらしたが、そのご夫婦も停滞している。私たちの後ろにも一人の登山者が下りてきた。皆、(うーむ、どうしよう)考えを巡らせている。友人がスマホで、キャンプ場の管理棟に電話をしている。何やらやり取りをしているようだが、通話を終え、「警備の人が来てくれるようだ」と言ったが、すでに15分も停滞している。帰りの時間もあるし、どうしよう?我々とご夫婦と1人の登山者とで話し合いがもたれた、ご夫婦のご主人は、クマよけスプレーをお持ちで、奥様は、犬の鳴き声が大音量で発する、熊ホーンなるものをお持ちになっていた。私は、120dbの防犯ブザーを持っていたので、(よし、みんなで大声を出してこの藪を突破しようという事になった。)ご夫婦のご主人が先頭だ、2番めは奥様、3番目は僕、以下残りの皆さんで前進した。各々「わーっ」とか「熊さん通らせてください」、「ゴメンなさい」「来ないでね」などなど、大声とワンワン、ビービーで傍から見たら、頭がおかしいんじゃないのというような状態で、藪に入った。そこから、いきなり熊が飛び出してくるのではとドキドキしながら、何とか、藪の向こうの川のところへ出てきた。しかし、向こう側のキャンプ場に行くには、川上に向かって遡らなければならない。左には熊の茂みが続くが、なおも我々は川上にある橋まで、茂みの横を大声を出しながら遡った。その橋に着いた時には、全員で(いやぁ良かった)(肝が冷えましたね)(助かった)などの声を掛け合い、拍手が起こった。橋を渡り雷鳥沢のキャンプ場に着いて、今しがた通過したその藪の全体を眺めてみた。そう大きくもない茂みに今もあの熊はじっと蹲り、息をひそめて何を思っているのだろう。「僕は(熊)ただ遊んでいただけなのに、人間たちは大声を出して僕を威嚇するなんて、ひどいじゃないか!」そんなことを考えていると、なんだか熊には悪いことをしたなぁと心苦しくなった。管理棟の方に無事に通過できたことをお知らせして、雷鳥沢を後にした。
ここからは舗装路で、楽だなと思っていたら、長い長い地獄の階段が始まった。その階段を一人の青年が血相を変えて降りてくる。こんにちは、と挨拶をすると、青年は「あの、雷鳥沢に熊が出たようですがご存じですか?」と聞いてきた。我々は「はい、先ほど管理事務所に電話したものです。」事情を聴かれ、その階段から眼下に見える、現場を指さし、私たちは、「あのライチョウ沢を下ってきて、熊は、あそこの藪に入り込んでいます・・・。」わかりました。と言って、青年は転がるように階段を駆け下りて行った。その青年の背中の巨大なリュックには、半円形の物体が入っているようで、?何だろう、あのザックに入っているものは・・と考えてみる。そうだ!あれはきっと、機動隊などが持っている、防護用の盾に違いない。腰にはクマよけスプレーを所持していたので、盾で防御してスプレーで追い払うのか。と一人納得してしまった。
その後、地獄谷の草木も生えない、強い硫黄の匂いをまかれながら、雷鳥荘や血の池、みくりが池をめぐり、出発地点の室堂にたどり着いた。2日間の合計は、11,6㎞、11時間30分の山行になった。最後に立山ポークカレーと立山玉殿の湧水をたっぷりと飲んで、我々はこの山旅を打ち上げた。





実はそのあとサウナに行き、本当の”サ道”を教えてもらい。ハマるのだが、それはまた別の機会に報告しよう。
いや、今回も素晴らしい登山だった。
