その日は、すこぶる快晴だった。気温10度と、絶好の登山日和。三ノ沢から見る、白い山体と下流に流れ出たその岩くずは雪のように白く駆け下っている。
文殊堂の駐車場に車を止め、準備に取り掛かる。今回は父親のたっての希望で、両親をここまで連れてきた。二人はキノコ採りが目的なので、お互い気を付けてと、声をかけ分かれた。登山口は駐車場から東へ、少しばかり県道を下ったところの、あまり目立たないような所にある。水はないが湿って滑りやすい小さな沢を登り始める。40分ほどで尾根らしきところについて、一息つく。2方向に道は分かれるが、正解は下りの右方向だ。しかし、左方向へ進んだ。道は、か細いがわずかに踏みあとがある。登山口では紅葉していた木々も、ここでは葉を落とし、視界も良く、壁はよく見えた。が、夏に登った景色とまるで違うと思いなおし、アプリで現在地を確認すると、どうやら違うようだ。来た道を下る。2方向の分かれ道を右に下り行くと、夏に登った合流地点に出会う。谷を下り、緩い上り坂に掛かるが、ここからが本番と気を引き締める。ほどなく急な斜面になり上り詰めると、そこが鳥越峠。標識にはまっすぐ進めば、駒鳥小屋、右へ進めば烏ヶ山(からすがせん)とある。しかし、左に進む。標識にはないが大山東壁を望み、その景色の一番上にある槍が峰を展望するには、左に進むしかない。
20年以上も前に見たその景色は私を魅了し、長く山に登らなかったこの心にも、いつかもう一度見てみたいと思い続けていた景色だった。そのころ若く、登山そのものに全くの造詣がなかった私は、すぐ後から登ってきた、当時30代後半と思われる登山者に、これから槍の頂上に行かれるんですかと聞いた。彼は臆することも、自慢することもなく、サラリと、行ってきますと言って、その道を進んだ。展望場所から見ていると、草付きの尾根をするすると登り、難所のガレ場の急斜面も難なく上り詰め、白杖の人工物に到達し、しばらく姿が見えなくなったが、ついに槍のてっぺんに到達した。そのてっぺんから僕に向かって大きく手を振ってくれた。正直!感動した。今見ている、恐ろしくも、美しいこの山の一番上から、僕に向かって手を振ってくれているのだ。僕も、青空をバックに手を振ってくれたその人におまいっきり手を振った。
標識を左に進み、藪漕ぎをしながら進むと最後の急斜面に掛かる。長くはないが、息切れするほどの斜面だ。根っこにつかまってそこを乗り越えると目の前に見えてきた、その壁と、いちばん高いトンガリ帽子!そこは展望台というほどの広さもないが、ただただ目の前の圧倒的な壁を見ることが出来る。本当に写真では伝わらない素晴らしさだ。
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今にして思えば、もっと若かったころに、この壁のてっぺんにチャレンジしておけばよかった。やっつけておけばよかったと思うばかりだ。しかし、今はどうあがいても、この壁には登ることはできない。体力の問題でもない。この古い古い火山は風化が進み、山全体が崩落している。鳥取西部地震などで、さらに崩落が進んでいる。ましてや、単独では不可能だろう。
さっきまで晴れていた山に、ガスが立ち込めてきた。南西側の下から湧き出しているガスが槍が峰のてっぺんにもかかってきた。別れは惜しいが下山を開始する。急斜面の下りを慎重に下ってゆくが、一歩一歩の足のおきどころも考えないと道は狭い。小説孤高の人の加藤文太郎ではないが、えれーこった、えれーこったと呟きながら下っていく。しかし、また性懲りもなく、倒木や立ち枯れの木を見つけては、美味そうなキノコはないか等と探し始めた。大きくはないが美味そうなキノコを見つけた。袋に入れる。また見つけた!別の袋に入れる。また見つけて別の袋に入れる。合計5種類ほどを見つけて下山した。駐車場にはすでにキノコを採取したと思われる両親が待っていた。父親は自慢げに天然のいいシイタケが取れたなどと言い、母親はいいムキタケがこんなに取れたと喜んでいる。よし!今度は俺も5種類も採ったから、1種類くらい食えるだろうと思ってキノコ名人(父)に差し出した。これはダメ!これは毒茸、これは毒はないがまずい。これはナメコ・・・・もどきでやっぱりダメ! ”チキショウ”またも全滅。食用キノコへの道ははるかに遠いようだ。天然シイタケはバター焼きにしておいしくいただいた。ムキタケはお正月にお鍋の具材に取っておいてもらっている。 やれやれ。